櫻 誓願寺 縁起
櫻 誓願寺 縁起
当山は、正式には〈法喜山 陽受院 誓願寺(ほうきさん ようじゅいん せいがんじ)〉と号し、開山上人お手植えの菊桜に因んで〈櫻 誓願寺〉とも称されます。
京都にある永観堂禅林寺を総本山とする浄土宗西山禅林寺派に属するお寺です。
ご本尊に阿弥陀如来をお奉りし、宗祖・法然上人より派祖・西山上人へと受け継がれた阿弥陀如来のお慈悲を深く信じて、この身このまま、ありのままに「南無阿弥陀仏」と称える〈白木の念仏(しらきのねんぶつ/人の計らいを超えた彩りのない念仏)〉の教えを宗旨とします。
古文書によると、久安2年(1146)に三論宗の僧侶である永澄上人が、中島郡(現在の稲沢市)に創建とありますが一時廃絶します。その後、元亀3年(1572)に比叡山での学問修行を終えた空範天室上人によって清州(現在の清須市)に浄土宗寺院として再建されました。
慶長14年(1609)から元和2年(1616)にかけて徳川家康公によって行われた清州から名古屋への都市移転事業〈清州越し〉の際に、現在の名古屋市中区白川町(当時は南寺町)に移転しました。それ以来、当地において江戸・明治・大正・昭和と300年来の伝統を保ってきましたが、昭和17年に太平洋戦争の戦災から逃れるため現在地の八事に移転することになったのです。
菊桜と延命みがわり地蔵尊
菊桜と延命みがわり地蔵尊
寺名に〈櫻〉がつきますのは、開山・空範天室上人利道大和尚と延命みがわり地蔵尊の故事に由来します。
上人が比叡山において学問修行に励んでおられる時、念持仏である地蔵尊に学問成就の祈願を日夜されていました。ある晩、上人の枕元に地蔵尊がお立ちになり、「汝の学問修行は成就せり。今より山を降り、われと共に衆生済度をいたし世の人々の苦しみを取り除くべし。」と告げられたので、上人は驚き歓喜して地蔵尊を背負ってすぐに山を降りられました。途中、比叡山総鎮守の日吉大社に詣でてご神木である菊桜の一枝を杖にして東に向かわれます。
ついに尾張の国・清州に留錫し、その地にご神木の菊桜を植え、上人唱えて曰く、「国家平安とともに仏教興隆し、桜樹の繁茂とともに寺門興隆すべし。」と。
幸いに当山はこれ以来、桜の繁茂と延命みがわり地蔵尊のご加護のもと今日まで法灯を受け継いでおります。〈櫻 誓願寺〉と称するのはこの菊桜に由来し450年来の寺号になります。
この〈兼六園菊桜〉は、八重の花弁が特徴で毎年4月下旬ごろに満開になります。
また、延命みがわり地蔵尊に祈願すれば、すべての災難・病難・厄難などの苦しみを身代わりしてくださる霊験あらたかな佛様です。毎年秋分の日に〈延命みがわり地蔵尊大祭〉を勤めています。
歴 代 住 職
中興開山
空範天室上人 利道大和尚
元亀3年(1572)、清州に当山を再興する。
天正4年(1576)2月26日 寂。
中興2世
空益尊道上人 円暢老和尚
天正年間に在住。
天正6年(1578)7月16日 寂。
3世
光天暁春上人
文禄年間に在住。
文禄4年(1595)10月11日 寂。
4世
空岸賢道上人
元和・寛永年間に在住。
正保元年(1644)7月16日 寂。
5世
教空南秀上人 智伝老和尚
正保・慶安年間に在住。
慶安4年(1651)6月12日 寂。
中興6世
山空南渓上人
承応・明暦・万治年間に在住。寛文9年(1669)10月11日 寂。
7世
然空頓外上人
寛文年間に在住。
寛文11年(1671)8月6日 寂。
8世
淵空祖龍上人
延宝年間に在住。
天和2年(1682)1月10日 寂。
9世
心空収南上人
天和・貞享年間に在住。
貞享3年(1686)11月7日 寂。
10世
耀空開猊上人 玄超老和尚
元禄年間に在住。
元禄3年(1690)2月18日 寂。
11世
呈空雲嶺上人
元禄・宝永年間に在住。
正徳3年(1713)1月29日 寂。
元禄11年(1698)、当山に現存する須弥壇(ご本尊が鎮座する台座)を普請する。
12世
観翁諦厳上人
享保年間に在住。
享保17年(1732)8月11日 寂。
13世
順空賢道上人 待雲老和尚
享保年間に在住。
享保20年(1735)3月12日 寂。
14世
卯空賢充上人
元文・寛保年間に在住。
延享2年(1745)5月8日 寂。
15世
猷空玄林上人 梅翁大和尚
延享・寛延年間に在住。
宝暦2年(1752)12月16日 寂。
16世
本空玄道上人 瑞道大和尚
明和・安永年間に在住。
天明4年(1784)11月22日 寂。
17世
満空悦玄上人 廣道大和尚
安永7年(1778)に東宝寺より当山へ入寺。
寛政・享和年間に在住。
文化10年(1813)4月14日 寂。世寿68歳。
本堂にある「法喜山」の山号額を寛政3年(1791)7月5日に普請する。
18世
錬空玄理上人 泰道大和尚
聖徳寺より当山へ入寺。
文化年間に在住。
文政2年(1819)4月6日 寂。世寿50歳。
19世
幽空玄明上人 俊廣大和尚
天保~嘉永年間に在住。
安政3年(1856)3月9日 寂。世寿79歳。
20世
廣空卓玄上人 義道大和尚
安政3年(1856)に聖徳寺より当山へ転住。旧本堂の建立を発願する。
万延~慶応年間に在住。
明治17年(1884)7月24日 寂。世寿77歳。
21世
義空祐玄上人 一道老和尚
明治年間に在住。
明治17年(1884)9月4日 寂。世寿34歳。
中興22世
功空徳玄上人 宝堂老和尚
藤江寺47世 大空弘玄上人の弟子。明治9年に京都・西福寺へ入寺。明治18年9月12日に当山へ晋住する。また、旧本堂再建を竣成する。
昭和5年(1930)3月7日 寂。世寿78歳。
23世
義空玄量上人 香雲老和尚
22世 徳玄上人の弟子。大正7年に清峯院より当山へ晋住する。昭和17年に白川町より現在地に寺基を移し、昭和24年に落慶法要を厳修する。
昭和26年(1951)10月14日 寂。世寿74歳。
24世
唯空玄識上人 柏翁大和尚
23世 玄量上人の弟子。
京都・地蔵院、江南・天然寺と転住し、昭和25年に当山へ晋住する。
当時、本堂しかなかった境内に鐘楼堂をはじめ伽藍の復興事業を行う。
平成4年(1989)4月1日 寂。世寿85歳。
中興25世
法空玄城上人 南石大和尚
24世 玄識上人の弟子。
昭和62年に晋住し、発願から5年の歳月をかけて平成21年に新本堂を竣成する。平成31年4月に退住し、名誉住職となる。
総本山禅林寺 宗会議長を経て現在、宗機顧問を務める。
現住26世 徳空玄隆
25世 玄城上人の弟子。
副住職として法務を勤めながら、国際協力、グリーフケア、おてらおやつクラブの活動に参加する。
令和元年6月に住職拝命。
「 生まれも育ちも誓願寺なのは歴代住職の中で初めてです。この得難いご縁を大切にし、当山にご縁のあるお一人お一人と喜びも、楽しみも、時に悲しみも共に分かち合い、共に歩んでいけるお寺を目指してまいります。いつでもお供しますので、お声掛けください。 」